〜こちらの旅日記は店主エノハラがBASKING COFFEEを開業する前に産地を旅した2013年の頃のお話です〜
観光客など一人もいないような、教会が町の中心にある田舎町だ。
外観の印象とは違って、和子の家の中はどことなく日本の家屋を思わせる雰囲気があった。キッチンの奥から漬物のような、懐かしい匂いがほんのり漂う。
家の中には、サンホセのマーケットに和子と一緒だった若い女の人がいた。
「ヤシ子ちゃんはあなたと同じくらいよ」
とキッチンから和子が言った。
私の娘。あと息子がいるのだけど、今大学に行っているの、私たちこの家で何でも自分たちで作るのよ、味噌やパンやお漬物とか、畑もすぐ近くにあるのよ、そうだ、今度あんたにも見せてあげるよ。その畑はね・・・
和子はノンストップで喋り続けている。
久しぶりに日本語を聞いた、と僕は思った。
日本語の響きはやっぱり落ち着くなと思う。海外から帰ってきて飲む味噌汁のようだ。懐かしく、安心感がある。
ヤシ子ちゃんは、和子の料理の支度の手伝いをテキパキとこなしながら、覚えたばかりの日本語で僕に話しかけてくる。
2人とも本当におしゃべりで、ことあるごとにケタケタと笑い転げる。僕もつられて大笑いしてしまう。
そうこうしているうちにテーブルにご馳走が並んだ。採れたばかりの野菜。手前味噌。自宅で作ったビール。
僕は遠慮など全くせずに食べまくった。美味しかった。美味しすぎた。
和子たちの話し声が遠のいていく。僕はぶっ倒れるように眠りについた。
---翌朝、熱をだしてしまった。めったにないことだが、どうやら体調を崩してしまったらしい。まぁ、和子の言うように、ろくなものを食べていなかった。
和子がドア越しに心配そうに声をかけてきた。
「あんた、多分さ、安心したんだよ。ずっとろくなもの食べずに、長く旅してさ。それで張り詰めていた糸がぷつんと切れたんじゃない。
しばらくこの家で休んでいきなさい。」
僕はうつらうつら返事をし、ふたたび深く眠った。
体調が戻ったのは3日後だった。
和子が部屋のドアを開けこう言い放った。
「さあ、起きなさい。畑を耕して、体力を取り戻すのよ。それと・・・」
和子は続ける。
「あたし達の友達にコーヒー農園やっている人がいるから、今度一緒に行こう。」
翌朝、和子の自慢の畑の手伝いをして、午後から僕たちはコーヒー農園のあるタラスというエリアまで車を走らせた。
コスタリカの気候は素晴らしい。気温は一年を通して日本の春のようで、湿度も低いので窓から入ってくる乾いた風が気持ち良かった。
「中米のスイス」といわれるほど美しい緑に恵まれた山々。その中を車で走り抜けるのは、この 初めてのドライブ以降、コスタリカに来た時の僕の楽しみとなった。
3時間ほどで、目的の農園に到着。
たくさんの子どもと、お父さんが迎えに来てくれた。
「ようこそ。遠くからよく来たね」
お父さんのホセと挨拶を交わした。
家のお庭がコーヒー農園になっているようで、早速案内してくれた。
和子が、「ホセはね、ビオディナミコの実践者なのよ」と歩きながら僕に言った。
ビオディナミコ【Bio Dynamic】とは、農薬・化学肥料を使わないだけでなく、種を蒔く日も収穫する日も天体運行によって決まる生命、生物(Bio)を統御する力学 (Dynamic)原理に従って行う農法のことだ。
ワイン作りにおいては珍しくないものの、コーヒーの世界ではまだまだ少数派だ。
庭に到着してあっと驚いた。
そこにはイメージしていたコーヒー農園とは全く違った風景が広がっていたのだ。
荒々しく、野生的で多様な植物が生い茂り、植物に絡み付く霧がどこか厳かな雰囲気を醸し出していた。
僕は、まるで自分が原生林の奥深くに迷い込んだような錯覚に陥っていた。
ホセがふと歩みを止め、こちらに振り返る。
「ここで最高のコーヒーを作っているんだ」
スペイン語訛りの英語で、彼は少年のような笑顔で言った。
---結論から言うと、この時、ホセからコーヒー豆は買うことは出来なかった。
理由として、一つは、「収穫量が少なすぎてプロダクト化が難しい」ということ。
もう一つは、全ての作業をホセ1人が手作業でやっているため、「コストがかかりすぎて値段が相場の3倍くらいになってしまった」からだ。
僕としては、たとえそれがどんなに良いコーヒーだったとしても、ある程度の量が確保できなければ長期的なビジネスとして成り立たないと判断し、最終的にホセとはパートナーシップは結ばないという結論に至った。
非常に残念だったけれど、とても勉強になった。そして、この時コーヒーを本気でビジネスにするために自分の思考が動いていることに気がついた。
この先、コスタリカへたくさん豆を買いに来ることができるようになって、また僕とホセを引き合わせる力学が働いたなら、彼からコーヒーを買ってみようじゃないか。
続く