2022年8月26日金曜日

ベトナムの産地へいってきた。

バックパッカー時代に東南アジアの国々も旅をしたことはあったが、ベトナムへはこれまで行ったことはなかった。

今回コーヒーの産地へ行くことに加え、ベトナムのコーヒーカルチャーも見ておこうと思い、ホーチミン、ダラット、ハノイと45日の旅をすることにした。


まず、初日はホーチミンに一泊した。

とは言っても、到着したのは夜の8時くらいだったので、その日は夕食を済ませてホテルに戻った。


翌日、早朝の飛行機で出発した。


目的地はダラット。コーヒー産地で有名なエリアだ。

ここで、ベトナムでトップクオリティのコーヒーを作っている日本人ファーマーの山岡さんを訪問することになっている。


朝の7時にダラット空港に到着し、バスに乗り、ダラット市内へ向かう。

・・・と、いうことになっていたが、バスに乗り込んですぐに、出発する気配がないことに気づいた。


バスの運転手は外でタバコを吸いながら談笑していた。

運転手は英語が通じなかったため、「何時に出発しますか?」

とジェスチャーで訊ねたところ、笑顔で「10分後!」と返ってきた。


山岡さんを待たせていたので、タクシーを利用するという手もあったが、10分後であれば待っていよう、と思っていた。


が、それが甘かった。


結局、バスが出発したのは僕が乗り込んでから1時間後だった。


後で英語の話せるベトナム人が教えてくれたのだが、早朝の第一便でそのバスを利用するのが僕一人だけだったので、1時間後にくる第二便である程度、乗客を確保してから出発することにしたらしい。


懐かしいぜ、この感じ。昔アフリカを旅していた時は基本そうだったなぁ。

人が集まるまで出発しない暗黙のルール。


ダラット市内に着くと、山岡さんがスクーターで僕を待っている姿があった。

だいぶ待たせてしまった。申し訳ない。


挨拶を交わして、山岡さんのスクーターの後部座席に座り、山奥の方へ数キロ先にある彼のラボラトリーへと向かう。


途中で、フォーの店に立ち寄って朝食をとることになった。


ベトナムでは朝ご飯にフォーを食べるようだ。

店内は多くの地元の人たちで賑わっていた。


ここで食べたフォーは、驚くほど美味しかった。
パクチーや唐辛子、にんにくなどを自分で好きなだけ乗せれるスタイル。



僕は周りを観察しながらフォーが出てくるのを待った。


手際よくボールに注がれていく出汁たっぷりのスープ。

一心不乱に麺をすするお客達。

メニューがあるようで事実上のフォー1択。

恐ろしく速いお客の回転率。


僕は思った。

「何かに似ている。・・・あ、そうか、これ『元祖長浜ラーメン』だ!」


山岡さんのラボラトリーは山奥の小さな村の中にあった。この村は、いくつかの少数民族が住むスラム街であるらしい。


山岡さんは、東京で10年ほどロースターとしてお店を経営した後、ベトナムに移住し、産地でコーヒーを育てることに決めた。

自分の農園を持つまでには紆余曲折あったが、ついに自分で育てたコーヒーを輸出するようになる。そしてその生産量は年々増えている。












このラボラトリーでは、カッピングをしたり、新しい品種の苗床を育てたり、サンプルローストをしたりしている。

立派な焙煎機も設置されていて、自社のコーヒー豆を国内に卸してもいる。


ファームからカップまでを一貫して自分の目で管理できるのはすごいし、羨ましい。


仲間のファーマーであるパッドさんが現れ、車で彼らの農園へ連れて行ってくれるとのこと。

パッドさんも少数民族の一人なので、日常的に話す言葉はベトナム語ともまた違う。

山岡さんとはベトナム語でコミュニケーションをとっているようだ。

僕はどちらも全く話せないので、なんとなくジェスチャーなどで意思疎通をし、質問があれば山岡さんに通訳してもらった。


農園までの道のりでは、ビニールハウスが多く見られた。


山岡さんは「ベトナムではコーヒーを作っても、買い叩かれるから儲からないんです。

一昔前はこの辺りもコーヒー農園が広がっていましたが、最近ではコーヒー農園の代わりに花をビニールハウスで栽培する人が増えた。

花も大きな企業が安く買い叩いているから、ほとんどコーヒーと変わらないのですが、まだいくらかはマシなんです。」

と話す。


「だから俺たちは品質の高いコーヒーを作って、ベトナムのコーヒーをもっと適正な価格まで引き上げたい。

そしてもっと他の農家たちがコーヒー生産に戻ってきてくれるようにしたいんです。」


中南米でも、適正な価格を支払うこと、余計な中間業者を省いて生産者と直に関係を作っていくことの大切さに痛感させられていたが、ベトナムでは政治的な面も含めて、もう一段階ほど根深いようだ。


丘の上から見える谷に点在する、繭みたいなビニールハウス群は、そのようなベトナムの切迫した問題を視覚的に表していた。



でこぼこした山道を抜けると美しいコーヒー農園が見えてきた。

標高は1700mほど。

今は雨季で、収穫時期ではない。コーヒーチェリーはまだ緑色だった。


久しぶりの農園の景色は心を落ち着かせてくれた。





「収穫時期はここで毎日働いています。最高でしょ?」

山岡さんは遠くに見える湖を眺めながら誇らしそうに言った。


コーヒー農園の隣にイチゴ畑があり、その傍らに小屋が建っていた。

若い男性がこっちに手を振っている。山岡さんやパッドの知人のようだ。


「ちょっと寄っていきますか」


パッドの犬。何食べてるのかなーと思ってみたら、「白米」。ひたすら白米を食べていた。

小屋の中に入ってみると、次から次に人が集まってきた。


小屋の奥では一人が昼ごはんを作っていて、何やら今からご馳走してくれる気配。

僕らは床に円になって座った。

新しく来た人がビール2ダース分の箱を抱えてやってきた。宴会が始まる気配。


料理人がどんどんお皿を持ってきて、陽気な口調で

「俺たちは外では食べないんだ。金払ってまずいもの食べたくないからさ。

この野菜や米は近くの農家から貰ってきたやつだから、新鮮で美味いよ。」と言う。

確かに、どれもとても美味しい。



ビールの箱を持ってきた人が皆にどんどんグラスにビールを注いでいく。

山岡さんがある時日本語で僕に呟いた。「この人初めてみた。誰だろう。」


何を喋っているか全くわからないのだが、ここにいる皆はとても楽しそうだ。

いつもこうして、昼から宴会して飲み過ぎては奥さんに怒られている。でも懲りない。


山岡さんは、この人達が本当に好きだと言う。

「この人達は優しさ成分だけでできてる。たしかにここの少数民族は日本と、いや他のベトナム人と比べても貧しいけれど、毎日仲間と楽しく生きている。

俺もここが性に合ってるように思う。」




気がつくと2時間ほど経過していて、パッドは酔ってノリノリだ。「もっと飲むぜ!」

ビール箱は底をついていた。

このままいたら帰れなくなると判断し、僕らはラボラトリーへ戻った。


仕事モードに切り替え、今年収穫された山岡さんのサンプルをカッピングした。





全サンプルがベトナムの伝統的な品種カティモールだ。

(カティモールはカトゥーラとティモールハイブリッドの交配種。糖度が上がりにくい品種と言われているが、標高が1500m以上で育つ実を、熟した実だけを選別してピックしていけば、しっかりとした甘いコーヒーが出来上がることが分かってきた)



プロセスはそれぞれ、


◯ウォッシュト

◯ナチュラル

◯アナエロビック・ウォッシュト

◯アナエロビック・ナチュラル


アナエロビックは最近はどこの産地でも見かける。5年前くらいから、発酵系のプロセスはトレンドになり、世界バリスタチャンピオンシップなどでもよく使用されるようになった。


僕はと言えば、アナエロビックは最近色々な所で飲む機会も多いのだけれど、発酵臭が強すぎたり、豆自体がクリーンじゃないものに出会いすぎて、正直少し食傷気味であった。


その反動なのか、「テロワールをもっと感じたい!」

という想いがここ数年、募っていた。


それだけに、この日のカッピングは、全てのカップからテロワールを感じる事ができて心躍った。

ベトナム・ダラットの土の味。

それはテロワールを最も感じやすいウォッシュトからだけでなく、アナエロビックなどからも充分に感じとることができた。


おもしろい。

ここに住む少数民族の人々が、この地の気候や食、文化から影響を受けずにはいられないように、ここで育つコーヒーも、ダラットのマイクロクライメイトや、作る人の個性が鮮やかに反映されているのだ。


エチオピアやコスタリカのような、軽やかで華やかなコーヒーとは対極と言ってもいいかもしれないベトナムのコーヒー。

僕の中でまた美味しいコーヒーが再定義され、新たな視点が得られた。


その後、帰る時間が迫る僕に山岡さんがコーヒーをドリップしてくれ、残りの時間いろいろな話をした。

結構真面目な話をしていたら、隣の部屋からカラオケで歌ってる声が聞こえてくる。


パッド達だった。

彼らもあの後帰ってきて、また新たに宴を始めていたのだ。

後から山岡さんから聞いたのだけれど、「日本人()を歓迎したい」とパッドは言い、飼っている鶏を一羽捌いてくれていたそうだ。

そして、その新鮮な鶏肉をバーベキューしながら隣でカラオケで盛り上がっていたのだ。


僕「ごめん、せっかくニワトリ捌いてもらったのに、もう帰らなきゃいけなくて」

パッド「もう帰んのか!もっと飲もうぜ!ほら、鶏肉食べろ」


また帰れなくなりそうなので、山岡さんが彼らを説得し、タクシーを呼んで、お見送りしてくれた。


タクシーで空港に戻る途中、窓を見ながら僕は今日一日を振り返っていた。


計画通りには進まない、知らない人と突然飲み会が始まる、言葉が通じない歯痒さ、心通じ合う瞬間。


昔バックパッカーしてた頃と同じだな。

だから旅って好きなんだ、そう僕は思った。

疲れていたはずだが、僕はナチュラルハイになっていた

濃い一日だった。






続く