現在、広島・宇品店のオープンに向けて準備に奔走しています。
以下はBASKINGスタッフでもあり、コーヒーマガジン『STANDART』編集長のToshiが広島オープンを控えたTatsuya氏へインタビューした記事。
TatsuyaのBASKINGへの想い、これからの展望などについて聞いています。
福岡のBASKING COFFEEが2店舗目に選んだのは、広島。
BASKING COFFEEのスタッフとして3年半働いてきた達也さんが、満を持して地元広島へ戻り、BASKING COFFEE2店舗目の店長としてお店を任されることになりました。
BASKING COFFEEを利用したことがある人は、少なくとも一回は達也さんに会ったことがあるはず。 強面ながらやさしい物腰と口調で数多くのファンもいるとかいな いとか。
広島へ旅立つ達也さんに、同じくBASKING COFFEEのスタッフToshiが、コーヒーの世界 に入った経緯やこれまでのこと、そして今の心境を聞きました。
アパレル業界からコーヒーの世界へ。きっかけはBRUTUSのコーヒー特集
Toshi : 達也さんがコーヒーの世界に入る前の話、聞かせてもらえますか?
Tatsuya: コーヒーの世界に入る前はアパレル業界で、 20代後半あたりから10年ちょっと働いてました。
その前は、結構いろんなアルバイトをしていたんですが、 一言にまとめるとフラフラしてましたね (笑)。
僕は高校を中退しているんですが、 16歳のころからいろんな仕事を転々としながら過ごし てきました。
その前は、結構いろんなアルバイトをしていたんですが、
僕は高校を中退しているんですが、
Toshi : アパレル業界ではどんなことをやっていたんですか?
Tatsuya: 20歳も過ぎた頃になるとある程度働ける職種の選択肢も増えてき たので、好きだったアパレルブ ランドに地元の広島で入社しました。
当時は出世したいという欲があって、店長を目指してがむしゃらに働いていましたね。
それからしばらくして、 静岡県の浜松に新しい店舗ができることになり店長を募集していたので、 立候補して任してもらえることになりました。
初めての県外での生活でしたが、仕事は順調で店舗の売り上げもよく、 充実した日々を送っていました。それで会社に評価してもらって、赤字が続いていたキャナルシティ博多の店舗の立て直しを任命され て福岡に移住してきたんです。
でもまったく歯が立たずに全然立て直せなかったんですけど(笑)
それからしばらくして、
初めての県外での生活でしたが、仕事は順調で店舗の売り上げもよく、
Toshi : 何が原因だったと思います? 今だったら何か違うことをやれそうだと思いますか?
シンプルに、実力がなかったということでしょうね。
うまくいっていた浜松の店舗とキャナルシティの店舗は規模が違っていて、 働いている人の年齢層も違えば従業員の数も多かったんですよ。
いきなり大人数の部下を持つことになって、 上手くマネージメントできなかったんです。
それで気づいたんですが、 僕は大人数の中で仕事をするのは向いてないんですよ。
ましてや、 性格的に人を引っ張っていくタイプではないと自覚しているし、 そうなりたいとも思っていないんです。
だから今リベンジしろと言われても自信はないですね。
いきなり大人数の部下を持つことになって、
それで気づいたんですが、
ましてや、
だから今リベンジしろと言われても自信はないですね。
Toshi : コーヒーはもともと好きだったんですか? スペシャルティコーヒーにはいつ出会いました?
Tatsuya: 昔から好きでした。スタバはよくいってましたね。
スペシャルティコーヒーについて知ったのは浜松に住んでいる時なんですが、 きっかけはブルータスのコーヒー特集。
そこに掲載されていた人た ちの話や、 まったく知らなかったスペシャルティコーヒーの世界を垣間見て、 コーヒーって奥深いんだなと感じました。
それからすごく興味が出てきて、 そのブルータスの付録にあった冊子に全国のスペシャルティコーヒーが掲載されていたんですが、 浜松にあるお店も掲載されていたので行ってみたんです。
ただその時は、「美味しい!」 っていう感動はなくて、「なんか薄いな」っていうのが 印象でしたね。コーヒーの質云々よりも、 楽しみ方がわからなかったんだと思います。
そこに掲載されていた人た ちの話や、
それからすごく興味が出てきて、
ただその時は、「美味しい!」
Toshi : 「なんか薄いな」から「美味しい」 に変わった体験って何かあったんですか?
福岡に移住してきて、 この街のコーヒーカルチャーを目の当たりにして驚きました。
たくさんお店があって、盛り上がってるなと。
ハニー珈琲に行くようになって、 飲み方を教えてもらったり、いろんな国のコーヒーや農園を教えてもらったりして、 のめり込んでいきました。
美味しいなと衝撃を受けたのは、REC COFFEEで飲んだエチオピアのコーヒーでした。
本当に美味しくて、なんだ これは!と体に電撃が走るみたいに感動したのを覚えてますね。
ハニー珈琲に行くようになって、
美味しいなと衝撃を受けたのは、REC COFFEEで飲んだエチオピアのコーヒーでした。
Tatsuya: いや、実は初めて行った時のことは覚えてないんですよね。
ただ、BASKINGの2周年記念 ブレンドは強烈に記憶に残ってます。
とてつもなく美味しかったんですよ。
あと、周年記念バッジ がもらえるという特典があると聞いて、 あまり在庫がないっていうのをSNSで見てたので焦りな がら急いで向かったのを覚えてますね。
バッジ余ってましたけど( 笑)
BASKINGに行くようになっ てからは、月一くらいで行っていたと思います。
ただ、BASKINGの2周年記念 ブレンドは強烈に記憶に残ってます。
あと、周年記念バッジ がもらえるという特典があると聞いて、
バッジ余ってましたけど(
BASKINGに行くようになっ てからは、月一くらいで行っていたと思います。
Toshi : BASKING COFFEEではどういう経緯で働くことに?
Tatsuya: 10年以上アパレルの業界で同じ会社にいて居心地は良かったんで すが、環境に甘んじていたところがあって何かを変えたいと思っていたんですね。
将来のことを考えていたタイミングでもあったんだと思います。
その時に並行してコーヒーの魅力にどんどんのめり込んでいく自分 がいて、次第に気持ちがそっちをむいている感覚がありました。
それで意を決して、ハニー珈琲に履歴書を送っ てみたんです。
募集もしていなかったので無理だろうなとは思っていましたが、 やっぱり残念ながら不採用でした。
ただ、そのエピソードをBASKING COFFEEに行った時に圭太さんに話したこと で、別の機会にお店に行った時に「 よかったらうちで働いてみませんか」って声をかけてもらっ たんです。ワクワクして、嬉しかったですね。
ただ、そのエピソードをBASKING COFFEEに行った時に圭太さんに話したこと で、別の機会にお店に行った時に「
Toshi : 実際に働き始めて、何が一番大変でしたか?
Tatsuya: これまで働いてきた業界といろんなことが違い過ぎて、 何から何まで知らないことだらけで情報 量の多さに毎日圧倒されていました。
例えば、 カップをソーサーにのせてお客さんの前に出す際に取手をどちらの方向に向けないといけないとか、 コーヒーの粉がカウンターに残っていないかなどに気を配って、 常に身の回りを綺麗な状態にするよう心がけないといけないとか、 飲食業界 やコーヒー屋の常識も何もわからなかったんですよ。
あと、圭太さんは本当に厳しかったですね。
お客さんとしてお店に行っていた時は、優しい喋り方できっと穏やかな人なんだろうなと思っていたんですが、 働き始めて初日からめっちゃ厳しく てギャップに驚きましたね。
でもそのおかげで、 これはほんわかムードじゃないな、気持ち改めて行こうって気合が入ったのも事実です。
例えば、
あと、圭太さんは本当に厳しかったですね。
でもそのおかげで、
Toshi : 異業種からコーヒーの世界に飛び込んできたわけですが、 どんな時にこの業界の魅力を感じます か?
Tatsuya: 自分たちが扱っているものを通じて、 お客さんが喜んでくれるのをダイレクトに見ることができるのは本当に嬉しいですね。
以前の仕事もお客さんと接する接客業ではあったんですが、 商品を気に入って購入してもらっても、 自分の提供しているものや接客が喜ばれているのか実感があまりな かったんです。
コーヒーはその場で反応が見れることも多いですし、 喜んだり楽しんでくれたりしているのがわかると心が満たされますね。
Tatsuya: まずは焙煎スキルはやればやるほどついていくなという実感があり ます。
僕なんかまだまだですが、約2年ほど焙煎を勉強させてもらったことで、 焙煎への理解が少しは深まってきました。
それがコーヒー抽出のアプローチに対して何か影響しているというのは そこまで感じません。
でも自分が焙煎から関わることができている分、 お客さんに対しての説明には幅が広がったように思いま すし、もっと自信を持ってお薦めできるようになりました。
焙煎を始める前までは、自分のもの じゃないような感覚がどこかにあったんですよ。
自分なりの言葉で接客はしていましたが、なんだか借りてきた言葉のような感覚があったんです。
モヤモヤっとしてすっきりしない部分だったの で、今は豆を焼くことでジレンマがなくなりました。
僕なんかまだまだですが、約2年ほど焙煎を勉強させてもらったことで、
それがコーヒー抽出のアプローチに対して何か影響しているというのは
でも自分が焙煎から関わることができている分、
Toshi : 焙煎も学んで3年間働いてきたわけですが、 独立することは検討しなかったんですか?
Tatsuya: 正直なところ、色んな葛藤と迷いはありました。
ただ悩み抜いた結果行き着いたのは、僕は Baskingが大好きなんだということでした。
このお店は常に新しいことをやっていこうっていう考えがあって、今後を想像すると楽しみだし、 そこに自分がいないのは嫌なんですよね。
微力ですけど、これまでBaskingの一員として一緒に働いてきて、 必要とされているという実感も自分の中で あります。
だからこそ、 僕が力を発揮することでBaskingのビジョンに近づいていく んじゃないかって思ってます。
もちろん将来的に独立することも考える可能性はあるかもしれませ んが、今 言えるのは、BASKING COFFEEはこれからもっと進化していくだろうし、 その渦中に自分もいて、 同じ風景を見て、同じ感動を味わいたいということですね。
微力ですけど、これまでBaskingの一員として一緒に働いてきて、
だからこそ、
Toshi :達也さんにとって、Baskingの魅力ってなんでしょう?
Tatsuya: やっぱり他と無理して交わらないところです。一切、 こびないっていう。
それは榎原圭太という人 間の魅力だし、独創性がある人だなって思います。
圭太さんを慕って集まる仲間も大好きで、そうやって尊敬できる人たちが集まってくるBasking Coffeeには何かがあるんだろうなって気持ちになりますよね。
あともちろん、 いつも来てくれるBaskingのお客さんは本当に最高です。
それは榎原圭太という人 間の魅力だし、独創性がある人だなって思います。
あともちろん、
Toshi :Baskingにくるお客さんってどんな人ですか?
Tatsuya: 今でもよく覚えているんですが、に入社したばかりの頃、ラテを上手く淹れれる ようになるために、 圭太さんの鬼の千本ノックみたいな試練があったんですね。
何秒以内に何杯作って、 これができるようになるまで帰れませんといった試験のようなもの でした。
その日、19時にお店が終わってから3時間くらいずっとやっていたんですが、 それでも終わらなかったんです。
疲れも出てきて、 残ってくれている圭太さんにも申し訳ないし、どうしようって。
時計は22 時をまわっていました。
その時、 その試験のことを聞いていたお客さんが、焼肉弁当をわざわざ 作って車走らせて持ってきてくれたんですよ。
もう究極ですよね。 もちろんご飯を差し入れてくれ たことは嬉しかったんですが、それ以上に、 そういう間柄ってなんて最高なんだろうって激しく感動したんですよ。
Baskingのお客さんは、 ありがたいことにそんな人が多いんです。地域に根付く 飲食店というのは、 きっとこんな風に多くのお客さんに支えられているんじゃないかと 思います。
そして僕たちお店の人間も、それに応える形で、 地域の皆さんにとって必要な場所だと思ってもらえるように最大限努力をしていかなければならないんだと思い ます。
その日、19時にお店が終わってから3時間くらいずっとやっていたんですが、
疲れも出てきて、
その時、
もう究極ですよね。
Baskingのお客さんは、
そして僕たちお店の人間も、それに応える形で、
Toshi :今度は広島で達也さんがBasking Coffeeの顔となって、その魅力を発信していくことになるん ですよね。チャレンジングですが、楽しみですね。ところで、 広島のコーヒーシーンはどんな感じ なんでしょうか?
Tatsuya: コーヒーのお店は増えてますね。 広島出身の人がオープンするお店や、県外出身の人が広島のコー ヒーシーンが盛り上がってきているのを聞きつけて移住してくる人 もいます。
ただ、まだまだ東京 や福岡といった独自のコーヒーシーンの盛り上がりがないなと感じ ているので、広島のコーヒーが アツいよねって全国から言われるくらい頑張っていきたいですね。
ただ、まだまだ東京 や福岡といった独自のコーヒーシーンの盛り上がりがないなと感じ
Hiroshima Coffee Festival、そしてオリジナルブランドの「CHAI CHAI CHAI」
Toshi :達也さんが現地のメンバーと企画した広島コーヒーフェスについて も聞かせてください。去年初開催にも関わらずすごく盛り上がっていたのを覚えています。 今年はコロナの影響で残念ながら延期となってしまいましたね。
Toshi :達也さんが現地のメンバーと企画した広島コーヒーフェスについて
Tatsuya: 一年に一回のイベントで、 始まったばかりなのでまだなんとも言えませんが、 去年の初開催はありがたいことに予想を大きく上回る来場者数がありました。
広島のコーヒーシーンにとって何か 少し貢献できたんじゃないかなという感触はあります。 今やコーヒーフェスは全国でたくさんあり ますが、他ではできてないことをやりたいですね。
例えば出店料は取らないなど、出店者に対して優しい団体でありたいよねと、 運営メンバーでいろんなアイディアを出し合っています。
今年のコーヒーフェスは延期になってしまいましたが、 コロナの影響で売り上げが落ちたコーヒー 屋さんも徐々に出てきているハズなので、 彼らの支援としてドリップバッグの販売などを開始したいなと考えています。
今年のコーヒーフェスは延期になってしまいましたが、
Toshi :広島では当然、Basking Coffeeの認知度、場所、人も全然違いますよね。 リーダーシップを取 ることが苦手だと言ってましたが、新しいチームもできます。 どういうお店にしたいと考えていま すか?
Tatsuya: チームの話だと、 僕は引っ張っていくタイプじゃないし得意じゃないんですが、 縁の下の力持ち のような存在でありたいですね。
僕にスポットが当たる必要はなくて、一緒に働くスタッフが輝いてもらえたらそれでいいと思っています。
そしてお店としては、 Baskingにいつも来てくれるお客さんのように、 広島でも時間をかけて地域の皆さんと関係性を築いていきたいですね。
僕は、 お互いを知らないお客さん同士が繋がって、 さらにどんどん繋がっていって小さなコミュニティになって、 みんなが集まって話しているのを 2mくらい離れたところからウンウンって言ってうなづきながら眺 めるのが好きなんです。
僕がその中心にいなくていいんですよ。
でも自分やその場所があったからこそ、今これが起きているっていうのを眺めたくて。
そんなお店にしたいなって思いますね。
そしてお店としては、
僕は、
僕がその中心にいなくていいんですよ。
そんなお店にしたいなって思いますね。
Toshi :最後に、最近達也さんが始めたチャイのオリジナルブランド「 CHAICHAICHAI」の話を聞かせ てください。広島Basking Coffeeではオンメニューも検討されているとか?
Tatsuya: 最後に聞いてくれてありがとうございます(笑)
広島ではぜひオンメニューしたいと思ってま す。
CHAICHAICHAIは、 自分で何か新しいものを生み出したいという思いから立ち上げた、 イン ドなどで飲まれるチャイティーのブランドです。
コーヒーチェリーの果肉の部分を乾燥させたカスカラが入っているのが特徴ですね。
ブランドを立ち上げるにあたり、僕が好きなことって何だろう、できることって何だろうというところからスタートして、 自分のルーツである「スパイ ス、ヨガ、インド、コーヒー」 をチャイという飲み物に詰め込みました。
CHAICHAICHAIを通じて、ブランドビルディングであったり、 パッケージデザインや販売の仕方を学びたいと考えているんですが、 なによりたくさんの方に飲んでもらってコーヒーの新しい可能性や チャイの魅力を体験 してもらいたいですね。
広島ではぜひオンメニューしたいと思ってま す。
CHAICHAICHAIは、
Toshi :達也さん、ありがとうございました。 広島でも頑張ってくださいね!
BASKING COFFEE Hiroshima
〒734-0004 広島市南区宇品神田1-5-33
082-255-3085
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