2021年8月13日金曜日

コーヒーの旅【グァテマラ編2】  

 日本からメキシコまで飛行機で行き、そこから陸路で最初の目的地であるグァテマラに入国した。

なぜ日本からグァテマラまで空路で行かなかったかというと、メキシコから陸路で行った方が50$くらい安かったから。

これがバックパッカー的(時間はあるが金がない)発想なのである。

無事に入国した僕は、サンペドロ・ラ・ラグーナという町を目指した。

「この町でグァテマラ人からマンツーマンでスペイン語を格安で学べる」という情報を僕は入手していたのだ。

町に着くと、(まるでロールプレイングゲームみたいに)早速何人かに聞き込みをはじめ、なんとなく良い人そうな先生と巡り会えた。

僕より少しばかり年上の、シャツのボタンを外して敢えて胸毛をのぞかせるタイプの男だ。彼は流暢な英語で「1週間で50$でいいですよ。」と言った。

確かに安い。

「じゃあ明日から始めましょう。」とお別れし、今日のミッションを終わらせた僕は町を探索てみた。町の雰囲気もなかなかいい。石畳の坂道や、色とりどりの家並みが見ていて楽しい。そして、ここには有名なアティトラン湖という美しい湖があり、それを町のどの場所からでも眺めることができた。

僕はすぐにこの町を気に入った。

翌日からは基本的に同じ様な日々をこなした。

まず、朝はホテルのベランダでアティトラン湖を眺めながら自分で淹れたコーヒーを飲み、10時から13時までマンツーマンでスペイン語の会話レッスン。

近くの食堂で昼ご飯を食べて、町をぶらついた後、ホテルのベランダで野鳥を観察。(ここにはいろんな種類のカラフルな野鳥がいたのだ。)

夕方は近くの食堂で夕飯とビールを飲み、読書。寝る前にフランスにいる妻と1時間ほどスカイプで話して11時頃には就寝。

あっという間に2週間が経ち、アルトゥーロさんとの約束の日が来たので、ホテルをチェックアウト。

最後の夜はスペイン語の先生と飲みに出かけた。

プライベートの時の彼は、雰囲気が少し違っていて、クールで寡黙だった。酔いがまわるにつれ、彼は人生の儚さについて、過去の恋人のことについて、ラテンの人らしく感情的に語った。そして彼は当たり前のように僕に飲み代を払わせた。

まぁいいんだけど。

翌日、僕はローカルバスに乗りアルトゥーロさんの農園のあるウエウエテナンゴへと向かった。

ホテルのベランダから見えるアティトラン湖。



                                       続く





2021年8月4日水曜日

コーヒーの旅【グァテマラ編】                  

どうも。店主のエノハラです。 

今回から数回に渡って僕の過去の旅日記を書いていこうと思います。
内容は、店頭でコーヒー豆を購入された方にお渡ししている「店主コラム」から抜粋し、まとめたものになります。
お暇な時間にでものぞいてもらえたら。 


  「まえがき」

僕は開業前にコーヒー産地と北欧を旅しました。 それはとても刺激的で濃密な毎日で、今でもわりと簡単に当時の記憶をたぐり寄せることができます。

旅した国はグァテマラ、USA、コスタリカ、コロンビア、ニカラグア、フランス、オランダ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー。 

コーヒーに出会う前によくやっていた気ままな放浪の旅ではなく、「コーヒー」をテーマの中心に据えた、目的のある旅。

今思うと、この旅が僕のそれまでの人生とこれからの人生の、大きな区切りとなる期間だったように思います。

では最初の国、グァテマラからスタートです。 

  「日本出発」 

それまで勤めていたコーヒー店を退職した僕は、開業前にどうしてもやっておきたいことがあった。

それは、

「産地を訪問し、どんな人が、どんなところで、どういう風にコーヒーを育てているのか、この眼で見、体験する」

ということ。  

この想いはコーヒー屋で働き始めた時からずっとあって、時間が経つにつれて、それは抑えきれないくらいまで自分の中で膨らんでいた。 

けれど、当時はコーヒー産地に行っている人が周りにほとんどいなかったため、伝がまったくない状態。 

とりあえず、僕はインターネットで有名な農園主のメールアドレスを調べて、
「あなたの農園を見せてください」と、熱い思いを文章に込めて片っ端からメールを送りつけた。 

コーヒー産地というのは中南米が主なので、文章はスペイン語で書かなければならない。 

当時の僕はスペイン語が全く分からなかったから、自分で日本語で文章を書いたものをスペイン語が得意な友人に翻訳してもらった。 

ほとんど返信はなかったが、その中で一人だけ返事をくれた人がいた。 その人は【エル・インヘルト農園】の農園主アルトゥーロさん。 

【エル・インヘルト農園】は、コーヒーの品評会で何度も優勝している“超”がつくほどの優良農園だ。

そんな農園の方から返事がかえってくるなんて思ってもみなかった僕は震えた。 

そのメールには、「いつ来るの?○日〜○日だったら、農園にいるから、どうぞ見に来てください。」と優しく書かれていた。

 興奮した僕は、すぐにグァテマラ行きの航空券を購入した。

 「やった。ついにコーヒー農園をこの眼で見れるんだ。しかも、あの有名なエル・インヘルト農園を!!」 

まさに目の前に天空から一本のひもが下ろされたような気分だった。
これを昇って、道を開いてやるぞ。

そんな野心をともなった高揚感に僕はしばらくの間浸っていた。

また、アルトゥーロさんのメールにはこうも書かれていた。  

「君のスペイン語は素晴らしい!会って話ができるのが楽しみだ。」 

これ、僕じゃないんだけどなぁ。このひと勘違いしてるなぁ。 

・・・まあでも、どの道スペイン語も勉強しなくてはな。

そう思った僕は、アルトゥーロさんと会う予定の日の1週間前にグァテマラに行き、スペイン語のレッスンを受けることに決めた。

 続く
      メキシコにて。メキシコから陸路でグァテマラへ。当時28歳。