2021年11月5日金曜日

BASKING COFFEEはどこへ向かうのか

一人で始まったBASKING COFFEEですが、年数を重ねるうちに仲間が増え、今は8人のスタッフと一緒にお店を営業しています。 

 自分の役割も少しずつ変わってきました。  
今の自分の役割は、以下の3つが主だと思っています。

  ・お店の哲学と指針をつくり、アップデートしていく 

・チームの一人ひとりのポテンシャルが最大限に発揮できる環境をつくる  

・クオリティの高い生豆の選別、確保

・資金を調達する

 今日は、まず一つ目のお店の哲学と指針(=どんな存在でありたいのか、どこへ向かおうとしているのか)について、話していきます。

 以下は、社内で共有している文言です。

 "
自分達が信じる「美味しいコーヒー」を安定して提供するプロフェッショナルでいよう。  

流行りに流されず、「地域の人々に必要とされ、長く愛される存在になること」を愚直に目指そう。 
 
グローバルな視点を持ちつつ、この社会を「ローカルから」面白くしていこう。" 



次に、
「理想とするチームメンバーの状態」

"一人一人が仕事に充実を感じながら向上心と自主性を持ち、創造性を存分に発揮できること" 

この状態を保つことが会社を拡大することより常に優先されます。  
また、その環境をつくることが自分の役割だと思います。



「お客様にとってのBASKING COFFEE」 

「このお店に出会えて良かった」と心から思ってもらえる、温みのあるお店。
 お互いに「ありがとう」と言い合える関係。 
老若男女問わず、地域のコミュニティの場として生活の豊かさに貢献し、いつもワクワクさせる存在。 

こんなふうにお客様に感じてもらえることを僕たちの理想としています。
コーヒーの品質を追求するのも、この理想があるからこそです。

 

「BASKING COFFEEの店舗の広がり方」

画一的に店舗展開していくのではなく、あくまで「人あり」きのお店を作っていく。
 それぞれの店舗の個性を尊重し、源流にBASKINGの理念が流れているイメージ。  
チームメンバーが自立し、新たな店舗を運営する際はサポートを続け、成功を支えていく。
地域に長く貢献できるお店を共同でプロデュースする。 

BASKINGのそれぞれの店舗のカラーが違うのは、それぞれの色・個性を持つという意味合いがあります。 


 
最後に、
「どこへ向かおうとしているのか」

 「ゴール」というと、どこか遠くを目指す、という印象がありますが、僕たちはどこまでも足元を見据えることを重視します。
 僕たちのゴールは何店舗達成だとか、売上何万とか、拡大へ向かう終わりなき成長ではなく、この「誰も不幸にしない」状態を維持することそのものがゴールであり、「今」を楽しむことができる精神を育んでいきたいと思います。  
例えるなら、球体の粘土細工をどんどん大きくしていくのではなく、丸みをより丸くしていくこと、極限まで滑らかな球体をつくることに、力を注いでいくようなことです。  
もちろん、現状に満足しつつも、新しいことには挑戦していきたいと思っています。  

そしてその動機は常に、「面白そうか、どうか」です。



お店が3店舗になり、チームメンバーが増えてきた今、お店の哲学を言語化して、それをチームメンバーと共有しておく必要があるな、感じていました。そしてBASKING へ来てくださるお客様へも、「表明」というか、自分たちがどういうお店なのか、どんな価値観を持っているのかを、きちんと言葉にしてお伝えしたい、という想いもあり、今回つらつらと書き綴った次第です。

時間の流れともに、この「哲学」はこれからも更新され、ブラッシュアップされていくことでしょう。僕自身も変化していくので。
その時はまた、拙い文章ですが、このブログを通して少しでも皆様に伝わるように表現していけたら、と思います。




 代表 榎原 圭太

2021年10月23日土曜日

コーヒーの旅【グァテマラ編3】

 サンペドロララグーナをあとにした僕は、一番安く行けるローカルバスに飛び乗り、「エルインヘルト農園」を目指した。


乗客は僕を除けば現地の人達だけだった。

「時々山賊がでる」と言われる山をいくつか越えて、20時間後ようやく農園の起点となる町ウエウエテナンゴに到着した。


鋭角な山々に囲まれた、小さい集落のような町だ。

しばらく歩いていくと、寂れたホテルを見つけた。その日はここで一泊することにした。


ホテルのオーナーが英語を話せたので、エルインヘルト農園について聞いてみたら、「知ってるよ」とのこと。「コーヒー農家は大体友達」らしい。

農園は、ここからさらに山を上っていったところにある、と親切に教えてくれた。

翌日、ホテルのオーナーからもらった手描きの地図を片手に出発。


今度はバスではなく、小回りの効くパブリックバンを乗り継いで、上へ上へと上っていく。なんとなく息苦しい気もした。どうやらかなり標高は高そうだ。

最後は個人のトラックの荷台に乗せてもらい、30分ほど走ったところで、ついに農園にたどり着いた。


人生初のコーヒー農園「エルインヘルト」。

入口の門を開けると、違った世界がそこにあるようだった。

心地よい乾いた風が身体を通り抜け、遠くから聴いたことのない鳥の鳴き声が聞こえてくる。取り囲む多種多様な植物たち。

「なんか、楽園みたいだ…」これが最初の印象だった。


農園は迷子になりそうなほど広く、門からずいぶんと歩き続けて、ようやくオフィスらしき建物に着いた。中にいた人が僕の姿を認めて扉を開けてくれた。

その人こそ、あの農園主のアルトゥーロさんだった。

僕は頑張ってスペイン語でたどたどしく話そうとしたが、「英語話せる?英語でいいですよ」と爽やかに言ってくれた。

スペイン語は使う必要もなさそうなくらい、彼は流暢な英語を話した。


早速、めちゃくちゃ爽やかなアルトゥーロさんに農園内を案内してもらった。


農園内には、生産処理を行うウェットミルだけでなく、ドライミル(乾燥させた豆を脱穀し、生豆をスクリーニングし、麻袋に詰め出荷準備するところまでの行程を行う施設)も備えてあった。

種から出荷までの全ての行程を一つで行う農園というのは、世界的にも珍しい。

それどころか、ここには焙煎室、カッピングルームまであり、国内用の豆のパッキングまで自社で行っている。


いきなり、世界でもトップオブトップの農園に来てしまったようだ。


僕はついに夢見たコーヒー農園に自分が来ているということと、真新しい情報が全感覚を通して滝のように押し寄せてくるという状況に戸惑っていた。


続く

2021年8月13日金曜日

コーヒーの旅【グァテマラ編2】  

 日本からメキシコまで飛行機で行き、そこから陸路で最初の目的地であるグァテマラに入国した。

なぜ日本からグァテマラまで空路で行かなかったかというと、メキシコから陸路で行った方が50$くらい安かったから。

これがバックパッカー的(時間はあるが金がない)発想なのである。

無事に入国した僕は、サンペドロ・ラ・ラグーナという町を目指した。

「この町でグァテマラ人からマンツーマンでスペイン語を格安で学べる」という情報を僕は入手していたのだ。

町に着くと、(まるでロールプレイングゲームみたいに)早速何人かに聞き込みをはじめ、なんとなく良い人そうな先生と巡り会えた。

僕より少しばかり年上の、シャツのボタンを外して敢えて胸毛をのぞかせるタイプの男だ。彼は流暢な英語で「1週間で50$でいいですよ。」と言った。

確かに安い。

「じゃあ明日から始めましょう。」とお別れし、今日のミッションを終わらせた僕は町を探索てみた。町の雰囲気もなかなかいい。石畳の坂道や、色とりどりの家並みが見ていて楽しい。そして、ここには有名なアティトラン湖という美しい湖があり、それを町のどの場所からでも眺めることができた。

僕はすぐにこの町を気に入った。

翌日からは基本的に同じ様な日々をこなした。

まず、朝はホテルのベランダでアティトラン湖を眺めながら自分で淹れたコーヒーを飲み、10時から13時までマンツーマンでスペイン語の会話レッスン。

近くの食堂で昼ご飯を食べて、町をぶらついた後、ホテルのベランダで野鳥を観察。(ここにはいろんな種類のカラフルな野鳥がいたのだ。)

夕方は近くの食堂で夕飯とビールを飲み、読書。寝る前にフランスにいる妻と1時間ほどスカイプで話して11時頃には就寝。

あっという間に2週間が経ち、アルトゥーロさんとの約束の日が来たので、ホテルをチェックアウト。

最後の夜はスペイン語の先生と飲みに出かけた。

プライベートの時の彼は、雰囲気が少し違っていて、クールで寡黙だった。酔いがまわるにつれ、彼は人生の儚さについて、過去の恋人のことについて、ラテンの人らしく感情的に語った。そして彼は当たり前のように僕に飲み代を払わせた。

まぁいいんだけど。

翌日、僕はローカルバスに乗りアルトゥーロさんの農園のあるウエウエテナンゴへと向かった。

ホテルのベランダから見えるアティトラン湖。



                                       続く





2021年8月4日水曜日

コーヒーの旅【グァテマラ編】                  

どうも。店主のエノハラです。 

今回から数回に渡って僕の過去の旅日記を書いていこうと思います。
内容は、店頭でコーヒー豆を購入された方にお渡ししている「店主コラム」から抜粋し、まとめたものになります。
お暇な時間にでものぞいてもらえたら。 


  「まえがき」

僕は開業前にコーヒー産地と北欧を旅しました。 それはとても刺激的で濃密な毎日で、今でもわりと簡単に当時の記憶をたぐり寄せることができます。

旅した国はグァテマラ、USA、コスタリカ、コロンビア、ニカラグア、フランス、オランダ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー。 

コーヒーに出会う前によくやっていた気ままな放浪の旅ではなく、「コーヒー」をテーマの中心に据えた、目的のある旅。

今思うと、この旅が僕のそれまでの人生とこれからの人生の、大きな区切りとなる期間だったように思います。

では最初の国、グァテマラからスタートです。 

  「日本出発」 

それまで勤めていたコーヒー店を退職した僕は、開業前にどうしてもやっておきたいことがあった。

それは、

「産地を訪問し、どんな人が、どんなところで、どういう風にコーヒーを育てているのか、この眼で見、体験する」

ということ。  

この想いはコーヒー屋で働き始めた時からずっとあって、時間が経つにつれて、それは抑えきれないくらいまで自分の中で膨らんでいた。 

けれど、当時はコーヒー産地に行っている人が周りにほとんどいなかったため、伝がまったくない状態。 

とりあえず、僕はインターネットで有名な農園主のメールアドレスを調べて、
「あなたの農園を見せてください」と、熱い思いを文章に込めて片っ端からメールを送りつけた。 

コーヒー産地というのは中南米が主なので、文章はスペイン語で書かなければならない。 

当時の僕はスペイン語が全く分からなかったから、自分で日本語で文章を書いたものをスペイン語が得意な友人に翻訳してもらった。 

ほとんど返信はなかったが、その中で一人だけ返事をくれた人がいた。 その人は【エル・インヘルト農園】の農園主アルトゥーロさん。 

【エル・インヘルト農園】は、コーヒーの品評会で何度も優勝している“超”がつくほどの優良農園だ。

そんな農園の方から返事がかえってくるなんて思ってもみなかった僕は震えた。 

そのメールには、「いつ来るの?○日〜○日だったら、農園にいるから、どうぞ見に来てください。」と優しく書かれていた。

 興奮した僕は、すぐにグァテマラ行きの航空券を購入した。

 「やった。ついにコーヒー農園をこの眼で見れるんだ。しかも、あの有名なエル・インヘルト農園を!!」 

まさに目の前に天空から一本のひもが下ろされたような気分だった。
これを昇って、道を開いてやるぞ。

そんな野心をともなった高揚感に僕はしばらくの間浸っていた。

また、アルトゥーロさんのメールにはこうも書かれていた。  

「君のスペイン語は素晴らしい!会って話ができるのが楽しみだ。」 

これ、僕じゃないんだけどなぁ。このひと勘違いしてるなぁ。 

・・・まあでも、どの道スペイン語も勉強しなくてはな。

そう思った僕は、アルトゥーロさんと会う予定の日の1週間前にグァテマラに行き、スペイン語のレッスンを受けることに決めた。

 続く
      メキシコにて。メキシコから陸路でグァテマラへ。当時28歳。

2021年4月12日月曜日

BASKING COFFEE 春日原店ができるまで

 

410日、BASKING COFFEE春日原店が無事にオープンを迎えることができました。


いつも支えくださる皆様のおかげです。ありがとうございます。


ここでは、オープンに至るまでの経緯(というよりdirector Toshiのストーリーかな?)を少しお話しますね。


***

春日原店directer・室本寿和(Toshi)と店主エノハラのストーリー


室本夫婦とはもう長い付き合いになる。

特にToshiに関しては、僕がコーヒーをやり始める前からの仲だ。

(僕らの出会いについては以前ブログに書いているのでそちらを読んでください)

新メンバー「Toshi」について



遡って10年前、福岡で翻訳の会社に勤めていたToshiは、オランダの営業所に海外赴任することになる。

当時僕はコーヒー屋で修行中の身であった。


それから3年が過ぎ、僕は独立に向けて会社を退職し、コーヒー産地の旅に出る。中南米を周ったあと、北欧へ行く道すがら、Toshiがいるオランダへ立ち寄った。


久しぶりに会う二人の話は尽きなかったが、ある時ふと、こんな会話になった。


Toshiは海外で仕事して、こんないい感じの家に住めて、なかなかいい人生やん」


僕がそう言うと、彼はどこか納得いかない表情で、


「悪くないよ。この生活も悪くはない。でも何かが足りない気がする」


と言った。


Toshiはこう続ける。


「お前が羨ましいとも思う。帰国したらコーヒー屋やるんよね。応援するよ」


その後、彼と分かれて北欧を旅したのち、僕は帰国し、その通り「BASKING COFFEE」を開店させた。


さらに数年後、Toshiからメールが届く。


「今、スロバキア発の『STANDART』っていうコーヒーマガジンの手伝いしてて。

近々日本版を出したいらしくて、それの編集長をやらないかって誘われてる」


「すごく悩んだんだけど、今の仕事を辞めてSTANDARTをやることに決めた。だから日本に帰ってくる」


ずっとコーヒーを好きだったToshiが、ずっとやってきた翻訳の仕事を活かしてコーヒーマガジンを編集する。


すごい巡り合わせだなと思った。こんな風に人の人生の点と点は繋がってゆくんだな。


それからToshiSTANDARTの日本版編集長として、活動開始。


STANDARTの仕事にも慣れてくると、Toshiは時々、BASKING COFFEEでもバリスタとして働くようになる。「もっとコーヒーを理解したい」という理由からだった。


コーヒーをやる前からの友人と、紆余曲折を経てここでまた一緒に仕事をすることになるなんて、人の縁というのは不思議だ。


最近になって、Toshiが調子に乗ったことを言い出した。電話ミーティングか何かの時だったと思う。


「やっぱり自分でコーヒー屋やってみたいっていう夢がずっとあるんよね。もちろん今のSTANDARTの仕事には満足してるし、やりがいもあるんやけど。」


話しながらだんだん熱くなってきたToshiは、妄想を膨らませてゆく。


「できればうちの近所とかで、公園とかが近くにあるところで、コミュニティの一部になれるような店をやりたいんよね。」


「いいね、やろうよ。面白そう」

僕が間髪いれずにそう答えると、Toshiは急に真剣な表情になった。


「え、まじで?」


「うん、まじで」


それが今のお店が生まれるきっかけだった。


数か月後、僕達はたまたま見ていた物件募集の一覧からこの物件を見つけた。


場所は、まさに彼がやりたいと言っていたエリアだった。こりゃあ、やるしかない。


ここからまた、Toshi、そして室本一家の新しい物語が始まる。


初心を忘れるなよ。


〜オープン前日の風景〜









内装は今回も千早のお店をお願いしたearly birdさんに。


***

最後に、トシが創ったBASKING COFFEE kasugabaruのお店のコンセプトを載せておきます。



「コーヒーで街への愛着を育む」


子育て世代がコーヒーを通じて繋がり、お客さん同士で自然と話が生まれる、おいしいコーヒーがあってリラックスできるコーヒー屋。


コーヒーで繋がりを作る。

コーヒーで暮らしを豊かにする。

コーヒーで地域に貢献する。

コーヒーで幸福を共有する。






2021年3月15日月曜日

ブレンドの価格改定のお知らせ

 <ブレンドの価格改定のお知らせ>

 



いつもBASKING COFFEEをご利用頂き誠にありがとうございます。

 

2021年4月1日より、以下の商品の価格改定をさせて頂くことにいたしました。

 

・  スピカ

・  Day Light

・  Michelle

100g(税込)645円→702円 

250g (税込)1296円→1404円

(それぞれ50円/100gの値上げとなります)


 

オープン当初より「高品質のコーヒーを日常的に皆さまに飲んで頂きたい」という理念のもと、出来る限りリーズナブルな価格でご提供できるよう努めてきました。


 ですが、原材料費そのものだけでなく、コーヒー豆販売に付随する諸費用、運搬費用が年々高騰しつづけており、経営努力だけではこれ以上価格を抑えることはできないと判断いたしました。


お客様のご負担が大きくなってしまいますことを心よりお詫び申し上げます。

 

今後も、価格上昇分以上の価値ある商品を作り、皆様にお届けして参りますのでどうぞご理解頂けますようお願い致します。 


BASKING COFFEE 榎原 圭太